検索
 HOME > 硬式野球部

取材に笑顔で応える三輪


ボールパーク便り  ルーキー特集(2) 直球勝負を胸に もう一度マウンドへ 三輪昂平  

 
 毎年恒例の硬式野球部ルーキー特集。今年も全国からトップレベルの選手が入部してきた。その中でも活躍が期待される注目の選手を全8回にわたって特集する。

 今年も名門・日大三高から期待のルーキーが明大にやってきた。その1人が三輪昂平投手(国際1=日大三)だ。日大三高では1年秋からベンチ入りし、本格派右腕としてチームの勝利に貢献した。

 物心ついた頃から白球を握りしめていた。元プロ野球選手の三輪隆を父に持つ息子・昂平は、幼少期から父とキャッチボールをする毎日を送っていた。1987年、父が正捕手を務めていた関東一高がセンバツ準優勝を経験。当時の関東一高の監督が、現在、日大三高で指揮を執っている小倉全由監督であったこともあり、「この監督の下でやりたい」と迷いなく日大三高へ進学。甲子園出場を目標に、ひたすらに腕を振り続ける毎日を送った。

 渾身の12球デビューだった。2年夏にチームは甲子園への切符を獲得。背番号18を背負った三輪は日大山形高との2回戦で9回に4番手として登板した。「ただ1回を抑えたところで何も残らない」と、走者を歩かせる覚悟で投じた2球目が自己最速の149キロとなった。チームは惜しくも初戦敗退。来年はエースナンバーを背負って150キロを出すことを誓い、聖地を後にした。
 転機は新チーム体制となった2年秋に訪れた。県予選の準決勝での敗戦を機に、球のキレやカウントの取れる変化球の重要性を痛感。そこから走り込み、投げ込みの毎日を繰り返した。そして、一冬を越えた先の3年春に高校時代で自身最高の時期を迎えた。試合でも登板してはゼロに抑え続け、さらなる磨きをかけて夏を勝ち抜いていくはずだった。しかし、大会直前に右肘に違和感を覚える。痛みが消えなかった中で迎えた準決勝の東海大菅生戦。9回に大会初登板するもストレートの四球を与え降板。「悔しいの一言です」。チームも敗退し、最後の夏が終わった。

 「あいつがいなかったら、今こうやって投げれるようにはなっていない」。高校時代、常に三輪の視線の先にいたのは釘宮光希(立正大)だった。エースナンバーは2年秋が三輪、3年からは釘宮が付けていた。2人の大黒柱として日大三高を勝利へと導いてきた。常にどこかで一目置きあっていたライバル関係、今でも一番に刺激を受けている存在だ。最後の夏を終え「ここで終われるわけない」と大学進学の決意を固めた。明大への進学理由は「日本一の野球部だから」。この先野球で活躍することが何よりも家族、監督、高校時代の仲間への恩返しになる。

 持ち味は何といっても地肩の強さを感じさせる直球だ。右オーバーから繰り出される140キロ中盤からの直球と、120キロ台のスライダーで打者を翻弄する。明大で目指すのは気迫のこもった直球を投げる投手。狙うはエースナンバーだ。同級生の中でも「真っ直ぐだけは負けたくない」と力強く語る。右肘には昨夏からの不安がまだ残っているが、その表情の中には不安ではなくたくましさがのぞいていた。「投げるのが楽しみでしょうがない」。プレーできない今、取り組んでいるのは下半身や体幹の強化。大型右腕が秘めている可能性に誰よりも期待を寄せているのは、今の三輪自身だろう。何回りも大きくなった姿をマウンドで見られる日は、刻一刻と近づいてきている。

[土屋あいり]

◆三輪昂平 みわこうへい 国際1 日大三高出 180p78s 右/右 投手
三輪の投球を支えている言葉は「心熱く頭冷静に」。中学校の時にコーチに教わり、今でも投げる時にはこの言葉を肝に銘じている。目標としている野球選手は田中将大(ニューヨーク・ヤンキース)。
次回のルーキー特集は8月26日(水)越智達矢外野手(経営1=丹原)です。お楽しみに。



●ボールパーク便りのバックナンバー

ニュース
 
 この記事へのご意見はこちらからお寄せください。
 今後の明大スポーツ運営への参考にさせていただくほか、ご意見としてご紹介させていただく場合もございます。
 ※必ずEmailアドレスをご入力ください。
 ※htmlタグなど、一部本文中にご利用できない記号がございます。
Email: